わたしとアーユルヴェーダの出会い

アロマテラピースクールセリストでのセラピストの授業の中で
アーユルヴェーダのパンチャカルマを習ったときにはじめて知りました

当時は「そんな手法があるんだ」「ドーシャって何、、」と思うくらいでしたが
海外でアーユルヴェーダの施術を受ける機会があって、そこで受けたシロダーラが衝撃的で
おでこを優しくあたたかな手でずっと撫でられている感じ、と言いましょうか
とにかくとても気持ち良かったことを覚えています
(その前後なんというか海外の施術って色々衝撃的でした。笑 日本の施術ってタオルワークとかホント丁寧だと思います)

その後も興味はあったものの、それ以上学ぶこともなく
ただ、教科書は手元にありましたので、引っ越しの度に読み返したり(荷物の整理が滞るパターン)
3つのタイプ(ドーシャ理論)がアーユルヴェーダの基本となっているのですが、なんとなく「ヴァータ、ピッタ、カパ居るなぁ」なんて思っていました
アロマテラピーを学びなおす中で、LAKSHMIに出会い、この化粧品を取り扱ううえで必須だったので
アーユルヴェーダを学ぶことになりましたが、知れば知るほどに奥深く

特にわたしは30代で完治しない病気を患いましたから、どうゆう経緯でなぜ病気になったのかというところで当てはまることがたくさんあって
勉強を進める中で実践もしていて、そうするとやはり気持ちよく日常を過ごせるわけです

アーユルヴェーダというと、インドの壮大な医学、学問ととらえてしまいます
本を読んでも言葉なじみがなく、日本人に合うのかとか、決まりごとが多くスパイスたくさんの食事や、
インド哲学は難しいし、瞑想やスピリチュアルなことは、なかなかすっと入ってはこないのですが
よく考えて生活していると、自然とアーユルヴェーダを取り入れていることに気づかされます

一方で現代人は時間に追われ、情報と物があふれる生活を送っていますから
自然と共に生き、内面の自分を知りアクセスすることが第一とするアーユルヴェーダ的生活スタイルを取り入れることが難しくなっています

病気でないことが健康状態とは限りません

なんとなく不調が続いている、満足な睡眠がとれない、食事が楽しめない、してはいけないことをしてしまう(心身不一致状態)
怒り、不安、鬱々が止まらないなど、病気の小さな芽を見逃さず、アーユルヴェーダの養生を取り入れることがこの先の心身の健康を支えるのではないかと考えています

人間の体は小宇宙にたとえられ宇宙を動かせないように、自然の秩序には逆らえないといいます
産まれてから死ぬこと避けれれない運命のもと人は生かされていると
でも、小さな習慣の積み重ねで少しずつ自分の望む方向に運命をもっていくことができると信じています

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